刑法「不作為犯」

法律

真正不作為犯・不真正不作為犯

通常刑法にかかる犯罪は「人を殺した」「他人の物を盗んだ」など、何かしらの行為に及んだことで罪になります。

しかしある行為をしなかったことで犯罪となった者を不作為犯といいます。

具体的には以下の二つです。

真正不作為犯:条文で不作為が明記されている場合。(不退去罪など)

不真正不作為犯:条文では作為について明記されているが、不作為によって同じ結果となった場合。(食事を与えず餓死させた=殺人罪)


成立要件

真正不作為犯の成立は条文化されているのですが

不真正不作為犯についてはそうはいきません。

その不作為が結果との因果関係があると認められる実行行為であると認められるかどうかが問題となります。

実行行為については前記事参照↓
https://www.pkquil.com/%e5%88%91%e6%b3%95%e3%80%8c%e5%ae%9f%e8%a1%8c%e8%a1%8c%e7%82%ba%e3%80%8d/


たとえば道端で人が倒れており、救急車を呼んだら助かったのに誰も呼ばなかった為に死んでしまったとします。

そうなると通りかかった人は立ち止まって救急車を呼ぶくらい簡単にできました。

では通りがかった人には殺人罪が適用されるのでしょうか。


それではあまりにも適用範囲が広がりますし、そこを通りがかった人全員と特定するのも困難です。

さらに近くを通りがった人には適応されてるとして

・離れたところにいた人は

・スマホをみて気付かなかった人は

・車で通り過ぎた人は

などなどあまりにも多岐にわたってしまいます。

こういった人にも殺人罪が適用され得るというのはあまりにも適用範囲が広がってしまいます。

もちろん助けられたのにという特段の事情があれば別です。

ではこの助けられたという特段の事情とは何かということが

作為との構成要件的同価値性が認められることです。


そのやらなかった行為がやったことによって起こったのと同じだという認定に足りるかどうか。

それは①法的作為義務と②作為の可能性・容易性の二つが認められると考えられています。


例えばさきほどの通行人は①の法的作為義務がありません。

通りがかったら助けるというのは道徳的には当然ですが法的な規定は別です。

保護者や一緒に遊んでいた友人にはその義務がしっかりとあります。

この法的作為義務の根拠は法令はもちろんのこと、契約・事務管理、慣習・条理なども考慮されます。


そしてそれだけではなく

排他的支配をおいた状況であるかどうかも一要因となります。

排他的支配とは他に人はおらずその人しかいない状態ということです。

例えば怪我した人がいて、その人と同じ部屋にいたのは私だけであったにもかかわらず何もせずに苦しんだ状態で放置した結果、重篤な障害が残った。

このような場合は私に不真正不作為犯が成立するでしょう。

ではこの結果亡くなったらどうでしょうか。すぐさま不真正不作為犯の殺人罪となるでしょうか。

殺人は殺すという明確な意思による行動によって引き起こされた結果です。

殺す意思はなく怪我をさせるだけだったにも関わらず死んでしまったならば傷害致死となります。


ではこのような場合はまさか放置していて死ぬとは思っていなかったらどうでしょうか。

刑法ではそれぞれ個別的に判断していかなければならないのですが、その判断要素は明確にしておかなければなりません。

どのような場合でも作為義務と殺意の双方によって区別することになります。


判例「シャクティ治療事件」

この不真正不作為犯の重要な判例があります。

不作為犯についての理論はここ平成に入ってから確立されたのですが

このシャクティ治療事件はそれらの要件をみたした重要な判例となります。


独自の治療を施すAがその信者らに指示して、脳卒中で入院中の信者を連れ出し独自の治療を行い(適切な治療を行わず)、それによって死亡した事件です。


ここで信仰している信者との関係性から、入院中の信者への行為を全面的に委ねられた立場にあったものとされ、排他的依存関係であったことが認められました。

そして必要な医療措置をうけさせなかったということで死亡したという不作為による結果である因果関係も認められ

不作為による殺人罪であると認められたのです。


ここ最近のこと

毎日だと書くことがなくなってくるのですが

最近ようやっと講義を聞いてブログのペースが戻ってきました。

あとネコさんの動画をみて癒され中です。

体調も回復してきたので午前中も動いていきます。

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