憲法「表現の自由 表現の自由の限界」

法律

表現の自由は保障されているといっても、現実は規制にまみれています。

内心のことは表現して初めて個人の意見になりますし、自己実現には必要不可欠です。

 

そのため表現の自由だけでなく精神的自由を規制するには厳格であるとされています。

これを二重の基準の理論といいます。

二重の基準の理論とは精神的自由と経済的自由を対比して、精神的自由の方が厳しい基準で審査しなければならないという理論です。

 

では表現行為を規制するにあたってですが、法令の形式的審査にあたっては、その法令の制限の要件が明確であるかが審査されます。

これを明確性の原理といいます。

 

法令ではこれはダメ。これをしたら罰則と書かれています。

ですがその内容が人に迷惑をかけない範囲というのではあまりに不明確です。

実際に憲法ではこのような言い回しで書かれていますが、刑法のような罰則規定においては不適格です。

例えばデモ行進をする際は3列までで、大音量での演説は18時まで、というのであれば明確です。

このように表現行為を規制する法令について、その内容が不明確なものは違憲とみなされます。

 

ではこの明確性の原理の趣旨と内容についてです。

趣旨は2つで

行政の恣意的な運用を許す危険がある

萎縮的効果をもたらすおそれがある。

 

これは刑罰法規についても、同様の考え方で罪刑法定主義の原則が定められています。

そして内容についても2つです

・漠然性ゆえに無効

・過度の広範性のゆえに無効

 

この無効というのはその法令が無効という意味で、その法令では規制できないということです。

ちなみに1つ目の漠然性ゆえに無効と判断された場合ですが、その法令は文面上無効判決となります。

これはアメリカの判例理論ではあるのですが、この文面上無効判決が下るとその法令は今後どのような対象、状況関わらず無効となります。

このように、文面上無効となるとは決まっていますが、まだ日本で実際にこの判決が下りたことはありません。

 

いまは日本も変革をしなければならない時ですので、こうした法令判例からどんどんこれまでとは違う

新しいことも積極的に下して欲しいと思います。

もちろん裁判官の判決によって、その裁判官の今後を左右されてしまうのでその責任はあまりにも重大ですし

実際に行政にとって不利な判決を下した裁判官が、どれだけ優秀でも地方の裁判官にしか任命されなくなったということもよくあります。

 

また法律に関する考え方とかだけでなく、こうしたことも随時まとめていこうと思います。

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