表現の自由はまだまだ続きます。
表現は言動だけでなく、出版物や芸術作品でも生まれます。
怖れから宗教は生まれ、驚きから芸術は生まれ、疑いから科学は生まれる。という言葉があります。
(うろ覚えなのでちょっと違ったかもしれません)
ではこうした文書などでの表現も立派な表現活動であるのは言うまでもないですが
それもどこまでが自由なのかということが問題となります。
もちろん表現の自由は保障しているので憲法21条で
「検閲は、これをしてはならない」
としっかり明記しています。
検閲とはですが、文書の内容を事前にチェックをして、発表するに相応しい形に修正することです。
確かにこれを徹底していては表現の自由は失われます。
ですがどんな場合でも検閲をしないということでなく、検閲が必要な場合もあります。
これは前にやった表現の自由の限界でもあったように、その時その時の利益の比較衡量で判断となります。
ですが判例により一定の基準は示されました。
検閲とは、行政権が主体となって思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することである。
昭和59年12.12の税関検査事件での判例です。
ここで検閲の定義が示された非常に重要な判例です。
それではこの判例によって示された検閲ですが
まず初めに行政権が主体となってとあります。
他の理論では行政権ではなく公権力が主体とする説もありますが、ここで行政権と限定しています。
公権力となると他に裁判所(司法権)も主体となるため、裁判所による出版差し止めも検閲に含まれることになります。
つまり裁判所からの差し止めは検閲の定義から除外するために、行政権を主体としました。
その次に、思想内容等の表現物を対象とし、とあります。
思想内容等のとあるように、思想内容に限った者ではありません。しかし実際はほぼほぼ思想内容についてのものです。
以下はそのまま社会的に不適切なものを発表前に差し止めるということです。
例えば猥褻物なんかはこれにあたります。
そして検閲にあたるかどうかについてですが、ここで検閲の定義にあてはめて、そのまま検閲となれば違憲となります。(検閲は憲法によって禁止とされているため)
しかし検閲にはあたらないとしても
その次に事前抑制禁止に触れるかどうかが問題になります。
この事前抑制の禁止の代表的な例がデモ行進の届出制などです。
これら表現の自由にあたる判例はどれも重要なものばかりです。
今一度判例百選もみていって、近々重要判例についてもまとめていこうかと思います。
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