刑法「行為者の責任」

法律

過失というのをどこまで罰するのかは難しいところで

まず結果があってそこで初めて過失犯かどうかの吟味開始です。

過失というのは故意はないが、その結果についてどこまで罰するかというものです。

注意義務違反ともいい、つまり注意していればそれは防げたのにしなかったことへ問われるものです。

 

過失犯の構造は2つの学説があり

①旧過失論:予見可能性を前提とした結果予見義務を解する。

②新過失論:結果回避可能性を前提にした結果回避義務を理解し、一般人を基準とした客観的注意義務違反として構成要件を解する。(一部省略)

旧過失論は予見できたのに予見しなかったという心理状態に着目したもので

新過失論は回避できたのに回避しなかった行為態様を問われます。

 

また注意義務(注意能力)の基準については

①道義的責任論と親近性 ②社会的責任論と親近性

がまずはあります。①は行為者を基準として②は一般人を基準としています。

つまり①はあなたならこれは分かったでしょということが問われ、②は普通ならこれは分かることでしょということが問われます。

そこで折衷説というのがあり

行為(構成要件的過失)については一般人を基準とし、責任過失については行為者を基準にするというものです。

行為者を基準とするが、上限は一般人を基準とするというものです。

 

これらをまとめると

客観的注意義務違反

予見可能性を前提とした予見義務違反かつ回避可能性を前提とした回避義務違反

このよっつの要素を満たすことで構成要件的過失となります。

 

さてこれらが満たされたら結果に対して過失を問われます。

逆にこういう場合は結果に対して過失をとわれない、信頼の原則というのがあります。

信頼するのが相当といえる社会的状況の存在を前提として、行為者による信頼の存在、信頼の相当性が条件となります。

 

判例でも、正しい交通法規で運転しており、交通法規を違反しながら運転してる人とぶつかって死なせてしまったとき。

これは交通法規を違反してくる人のことまで前提にして運転はできないということで信頼の原則が成り立ちます。

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